Avsnitt

  • モノクロフィルムの自家現像の失敗をきっかけに、写真が急に難しく感じた体験について語ります。

    デジタルでは撮影後に修正できていた問題が、フィルムでは原因の検証や再撮影が必要となり、写真の工程そのものと向き合うことに。これはコンフォートゾーンを抜け、成長のためのラーニングゾーンに入ったサインでもあります。

    写真は失敗をきっかけに難しくなり、その度に答えを更新しながら前進していく、そのプロセスについて話します。

  • SNSで発信していると、フォロワー数や再生回数などの数字がどうしても気になります。数字が増えることは多くの人に見てもらえている証拠であり、大切な指標でもあります。

    しかし、その数字を追いかけすぎると、注目を集めるために言葉がどんどん強くなっていきます。「〇〇は間違い」「〇〇する人はダメ」といった刺激的な言葉は反応を集めやすく、再生数やコメントを増やすこともできますが、それは写真そのものではなく言葉の強さで勝負している状態とも言えます。

    SNSは新しい投稿が次々と流れていく「速度の世界」です。一方で写真の文化は、時間の中で見続けられる「時間の世界」です。10年、20年、あるいは50年前の写真でも今なお見られ、むしろ時間が経つことで価値が生まれることもあります。

    ロバート・フランクの『The Americans』やソール・ライターの写真が今も語られているのは、作品が残る形で存在しているからです。

    だからこそ写真は、SNSだけでなく写真集や展示など、長く残る形で発表することが大切だと感じています。SNSは流れていきますが、写真は時間の中に残ります。

    40年後、50年後に誰かがその写真を見て、こんな視点で街を見ていた人がいたと思ってくれたら、それだけで十分なのかもしれません。

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  • 本内容の核心は、「色とは装飾ではなく、社会の履歴そのものである」という視点です。

    街の色の多くは自然に生まれたものではなく、安全、統制、経済活動など、人間の意思決定が時間の中で積み重なった結果として存在しています。

    警告色や信号の赤は、危険や事故の経験から生まれ、人間の行動を瞬時に制御する役割を持っています。また広告やブランドカラーは注意を獲得するための経済的手段であり、都市の色は視線競争の結果でもあります。

    さらに色は社会の記憶や階層、支配構造といった目に見えない仕組みを表面化させます。

    スナップ写真で色を写すことは単なる視覚記録ではなく、都市が積み重ねてきた時間、権力、経済、記憶といった社会の構造を記録する行為であり、色とは社会そのものの証拠だと言えます。

  • 本エピソード「†003 焦点距離:存在の位置を決める」では、スナップ写真における焦点距離を、単なる光学的な数値ではなく、「世界との関係性を決める存在的な選択」として捉え直します。焦点距離とは、どれだけ写るかを決めるものではなく、「どこに立ち、どの距離から世界に関わるのか」を決める道具であり、写真家の立ち位置そのものを規定するものです。

    本編では、焦点距離が写真における倫理や関係性の温度、さらには時間の流れ方にまで影響することを解説します。近い距離は出来事を体験として引き受け、遠い距離は構造として理解する視点を生み出します。そして28mm、35mm、50mm、70mmという代表的な焦点距離を通して、それぞれが持つ固有の意味を具体的に掘り下げます。

    28mmは空間との境界が曖昧になり、存在が世界に触れる距離。35mmは介入と観察の両方が成立する、最も繊細な境界線の距離。50mmは世界を理解可能な密度で捉え、関係性が自然に成立する安心の距離。そして70mmは感情よりも配置や構造を読み取り、空間の関係性を整理して見る距離として機能します。

    本エピソードは、焦点距離を「画角」ではなく「存在の選択」として再定義し、写真家がどの距離から世界に関わるのかという根本的な問いを提示します。焦点距離とは、何を写すかではなく、「どの位置から世界を引き受けるのか」を決める行為である――その本質を、スナップ写真の実体験を通して語る内容です。

  • 本エピソード「†002 写真の判断基準はなぜ人によって違うのか」では、スナップ写真において最も重要な要素である「視点」が、なぜ人によって大きく異なるのかを掘り下げます。視点は“学ぶもの”というより、環境・体験・思考・反復が長い時間をかけて混ざり合い、生活の中でゆっくり形成されていくもの。YouTubeや技術だけでは完成しない、という前提から話を始めます。

    前半では、視点を形作る4つの層(物理環境/借りた視点/人生反応/撮影反復)を整理し、都市が身体感覚をどう変え、距離感や反応速度をどう決めていくのかを具体的に語ります。さらに、ウィノグランドやソール・ライター、ロバート・フランクなど“借りた視点”が、やがて自分の中の小さな「違和感」によって固有の視点へ変わっていく過程を解説します。ズレは失敗ではなく、個性の入口であるという視点は、この回の核です。

    後半では、スナップ写真が「世界観」ではなく「反応」を記録するメディアであること、そして何に反応するかは技術ではなく人生が決めることを扱います。加えて、視点は完成しないが“固定される瞬間”はあり、自己認識と外部認識のズレ、視点の3段階(無意識→自己認識→外部認識)を提示。環境の変化、技術の熟練、人生の転機、評価の獲得が視点を揺らす危険性にも触れます。最後に、視点が本当に固まるのは撮り方が決まった時ではなく、生き方と撮り方が一致した時だという結論へ。写真は技術ではなく、生き方の痕跡である——その意味を一緒に考える回です。

  • 本番組「†001:写真という言葉が、疑われ始めた理由」では、AI生成画像の普及によって、私たちがこれまで当たり前のように使ってきた「写真」という言葉の意味が揺らぎ始めている現状について、撮影者の視点から冷静に整理します。これはAIの是非を問う感情的な議論ではなく、「なぜ今、写真が疑われるようになったのか」「これから私たちは何を基準にイメージを見ればいいのか」という、見る行為そのものの前提を問い直す内容です。

    現在の混乱の本質は、AIの技術的進歩そのものではなく、現実と接触していないイメージが説明なく「写真」として提示され始めたことにあります。写真は本来、「誰かがその場に立ち、逃せば二度と戻らない瞬間を引き受けた痕跡」として信用されてきました。しかし、生成画像が同じ文脈で扱われることで、「写真」という言葉が持っていた信用の基盤が曖昧になりつつあります。本エピソードでは、写真と生成画像の違いを見た目ではなく「世界との関係性」や「一回性」という構造的な観点から解き明かします。

    また、AIを単純に拒絶するのではなく、どこで線を引き、どのように共存していくべきかについても考察します。さらに、受け取る側が混乱しないために持つべき態度として、「見抜こうとしないこと」「文脈を読むこと」「運用から信用を判断すること」「判断を保留する勇気を持つこと」という具体的な指針を提示します。

    AIによって、写真は終わるのか。それとも再定義されるのか。本配信は、写真というメディアが持ってきた「信用」と「現実との接触」という本質を見つめ直し、これからの時代において、私たちがどのようにイメージと向き合っていくべきかを考えるための出発点となるエピソードです。