Avsnitt

  • 2015年に微花を創刊し、2016年の夏までに四季六冊を刊行したタイミングで一時休刊。そうして、2019年4月に装幀をあらたに復刊したことを機に、同年4月から8月にかけて全国十ヶ所を巡った微花復刊記念ライブツアー「絵本的」—それらのアーカイブの一部を、このたび公開いたします。

    三つ目は、2019年8月4日に恵文社一乗寺店でひらかれた「絵本的」の最終講演、「開かれてある世界に生きなおす」—微花とつち式による鼎談です。



    目次

    『つち式』—元をたどれば人間も土によって生きている/ 生の空虚/『つち式』の出発点は、この世に生まれたことの不可解さにある—どういうわけか私は生まれ、気づけば生きている/ 生き方やハウツーについての話は、すでに自分が生きているということを完全に了解している/ 生きていること自体の物凄さに気付いてから、植物のある世界に開かれた/ 社会的な体裁の外側に、確かに信じられるものとして植物があった/ 人間があまり好きではない、代わりに他のいきものの方が好きだったことから畑をはじめる/ 自然農—野菜もつくりたいし、ほかのいきものとも暮らしたい/ 蝉の声を聞いたら動悸する西田/ 大江健三郎の『私という小説家の作り方』/ 柿の枝と自分との境目もないほどに、幼少期は自然と溶け合っていた/ 幼少期の自然体験が後世に与える影響/ 野菜を飾って観賞する/『つち式』を読んでいると、個人の趣味趣向を超えたところから殴られる気がする/ 植物が好きなのではなく、生きている以上はそこに惹かれざるを得ない/ 都会と里山の時間感覚の違い/ 野菜という生物の生存に介入する農耕エロティシズム/ 切花人間/ 庭師の歓びのひとつは、木にとっての小鳥や風になること/ 都会的(≒近代的)な感性を身に付けると、田舎での生活をより愉しめる/ 里山二二二〇—里山の維持までを含めた稲作/ 朝夕の散歩によって規則正しく狂う/身近なところに目を向けようというより、突然向こうからやってくる
    / 身体に閉じ込められているという感覚/何をしようとしまいとこの身体は前提としてあって、そこからはじまるものがある/ 前提をより確かにしていくか、前提をすっとばして自由を求めるか/ 人類堆肥化計画

  • 2015年に微花を創刊し、2016年の夏までに四季六冊を刊行したタイミングで一時休刊。そうして、2019年4月に装幀をあらたに復刊したことを機に、同年4月から8月にかけて全国十ヶ所を巡った微花復刊記念ライブツアー「絵本的」—それらのアーカイブの一部を、このたび公開いたします。

    三つ目は、2019年8月4日に恵文社一乗寺店でひらかれた「絵本的」の最終講演、「開かれてある世界に生きなおす」— 微花とつち式による鼎談です。



    目次

    『つち式』—元をたどれば人間も土によって生きている/ 生の空虚/『つち式』の出発点は、この世に生まれたことの不可解さにある—どういうわけか私は生まれ、気づけば生きている/ 生き方やハウツーについての話は、すでに自分が生きているということを完全に了解している/ 生きていること自体の物凄さに気付いてから、植物のある世界に開かれた/ 社会的な体裁の外側に、確かに信じられるものとして植物があった/ 人間があまり好きではない、代わりに他のいきものの方が好きだったことから畑をはじめる/ 自然農—野菜もつくりたいし、ほかのいきものとも暮らしたい/ 蝉の声を聞いたら動悸する西田/ 大江健三郎の『私という小説家の作り方』/ 柿の枝と自分との境目もないほどに、幼少期は自然と溶け合っていた/ 幼少期の自然体験が後世に与える影響/ 野菜を飾って観賞する/『つち式』を読んでいると、個人の趣味趣向を超えたところから殴られる気がする/ 植物が好きなのではなく、生きている以上はそこに惹かれざるを得ない/ 都会と里山の時間感覚の違い/ 野菜という生物の生存に介入する農耕エロティシズム/ 切花人間/ 庭師の歓びのひとつは、木にとっての小鳥や風になること/ 都会的(≒近代的)な感性を身に付けると、田舎での生活をより愉しめる/ 里山二二二〇—里山の維持までを含めた稲作/ 朝夕の散歩によって規則正しく狂う/身近なところに目を向けようというより、突然向こうからやってくる
    / 身体に閉じ込められているという感覚/何をしようとしまいとこの身体は前提としてあって、そこからはじまるものがある/ 前提をより確かにしていくか、前提をすっとばして自由を求めるか/ 人類堆肥化計画

  • 2015年に微花を創刊し、2016年の夏までに四季六冊を刊行したタイミングで一時休刊。そうして、2019年4月に装幀をあらたに復刊したことを機に、同年4月から8月にかけて全国十ヶ所を巡った微花復刊記念ライブツアー「絵本的」—それらのアーカイブの一部を、このたび公開いたします。

    ふたつめは2019年5月11日にひらかれた
    「絵本的 」於 月白
    —微花と月白店主による鼎談となります。


    目次

    養生したい/ 好きなことをして生きていくという言葉への違和感 /「月白」という店名の由来/『微花』の文章の核となった『感受体のおどり』/ 目ざましいものではなくてかすかなものを、他をしのぐものではなくて他がこぼすものを、あらしめるもの / ハナミズキに咲かれる / 既存の植物図鑑の逆張りとしての『微花』/ 四半世紀ものあいだ金木犀の香りさえ知らなかったところから、微花を経て庭師へ/ 春落葉に気付く/ 珈琲を勉強しはじめて味覚がひらきはじめた感覚と、花の名を知って視覚がひらきはじめた感覚との相似/『微花』は単なる植物の本なのではなく、植物を媒介とした世界入門の本/ 植物によって生きている人間の姿を描くという新たな構想の為、一時休刊/『つち式』と『母の友』との遭遇を経て、微花の絵本的な側面に気付く/ 生きていることそれ自体の物凄さ/『おやすみなさいの本』—世界にはいろんなことがあるけれど、きょうのところは「おやすみなさい」/ 単純であることは存外むずかしい/ 単純の究極は存在そのもので、絵本にはそれが描かれている/複雑な世界を生き延びる為には、時折戻ってこれる場所がひつよう/ 名のあるものになろうとする/『気流の鳴る音』—うつくしい道をしずかに歩む/ 君はすでになされている/ 空虚を簡単に満たさないこと/ 焚いている人が燃えている火

  • 2015年に微花を創刊し、2016年の夏までに四季六冊を刊行したタイミングで一時休刊。そうして、2019年4月に装幀をあらたに復刊したことを機に、同年4月から8月にかけて全国十ヶ所を巡った微花復刊記念ライブツアー「絵本的」—それらのアーカイブの一部を、このたび公開いたします。

    ふたつめは2019年5月11日にひらかれた
    「絵本的 」於 月白
    —微花と月白店主による鼎談となります。


    目次

    養生したい/ 好きなことをして生きていくという言葉への違和感 /「月白」という店名の由来/『微花』の文章の核となった『感受体のおどり』/ 目ざましいものではなくてかすかなものを、他をしのぐものではなくて他がこぼすものを、あらしめるもの / ハナミズキに咲かれる / 既存の植物図鑑の逆張りとしての『微花』/ 四半世紀ものあいだ金木犀の香りさえ知らなかったところから、微花を経て庭師へ/ 春落葉に気付く/ 珈琲を勉強しはじめて味覚がひらきはじめた感覚と、花の名を知って視覚がひらきはじめた感覚との相似/『微花』は単なる植物の本なのではなく、植物を媒介とした世界入門の本/ 植物によって生きている人間の姿を描くという新たな構想の為、一時休刊/『つち式』と『母の友』との遭遇を経て、微花の絵本的な側面に気付く/ 生きていることそれ自体の物凄さ/『おやすみなさいの本』—世界にはいろんなことがあるけれど、きょうのところは「おやすみなさい」/ 単純であることは存外むずかしい/ 単純の究極は存在そのもので、絵本にはそれが描かれている/複雑な世界を生き延びる為には、時折戻ってこれる場所がひつよう/ 名のあるものになろうとする/『気流の鳴る音』—うつくしい道をしずかに歩む/ 君はすでになされている/ 空虚を簡単に満たさないこと/ 焚いている人が燃えている火

  • 2015年に微花を創刊し、2016年の夏までに四季六冊を刊行したタイミングで一時休刊。そうして、2019年4月に装幀をあらたに復刊したことを機に、同年4月から8月にかけて全国十ヶ所を巡った微花復刊記念ライブツアー「絵本的」—それらのアーカイブの一部を、このたび公開いたします。

    ひとつめは、2019年6月16日にひらかれた「絵本的 」於 READAN DEAT から—

    目次
    ハナミズキの並木坂/名前を識ると咲く/かろやかでうつくしい植物図鑑「微花」/金木犀の新芽/人間は植物がないと生きられない—そうしたことをあつかう雑誌/自己治癒としての制作/一時休刊し、制作から生活へ/微花復刊に深く関わる二つの雑誌、「つち式」と「母の友」/植物だけではなく、あらゆる異種と生き交わす生活を描いた「つち式」の創刊/つち式を経て見えてきた微花の本質/「母の友」をつうじて知ることになった"写真絵本"というジャンル/幼年時代に花のなかった自分たちへ、ひいてはそのような子どもたちへ、写真絵本として微花を届ける/チルドレン・ブックではなくて、ピクチャー・ブックとしての絵本/絵本的=この複雑な世界において、それでもなお単純であること

  • 2015年に微花を創刊し、2016年の夏までに四季六冊を刊行したタイミングで一時休刊。そうして、2019年4月に装幀をあらたに復刊したことを機に、同年4月から8月にかけて全国十ヶ所を巡った微花復刊記念ライブツアー「絵本的」—それらのアーカイブの一部を、このたび公開いたします。

    ひとつめは、2019年6月16日にひらかれた「絵本的 」於 READAN DEAT から—

    目次
    ハナミズキの並木坂/名前を識ると咲く/かろやかでうつくしい植物図鑑「微花」/金木犀の新芽/人間は植物がないと生きられない—そうしたことをあつかう雑誌/自己治癒としての制作/一時休刊し、制作から生活へ/微花復刊に深く関わる二つの雑誌、「つち式」と「母の友」/植物だけではなく、あらゆる異種と生き交わす生活を描いた「つち式」の創刊/つち式を経て見えてきた微花の本質/「母の友」をつうじて知ることになった"写真絵本"というジャンル/幼年時代に花のなかった自分たちへ、ひいてはそのような子どもたちへ、写真絵本として微花を届ける/チルドレン・ブックではなくて、ピクチャー・ブックとしての絵本/絵本的=この複雑な世界において、それでもなお単純であること

  • もっと棍棒の話をしよう

    きっと耳を澄ますにつれ庭がどこまでも広がってスウスウ流れこんでくること請けあいのラジオ 『庭声』の更新です。

    第7回目となる今回は、待望の棍棒回。ZNKKXCUP 第1回全日本棍棒飛ばし選手権大会の片付け後、全日本棍棒協会会長の東樫をゲストに、棍棒飛ばしの奥深さについて語りました。

    全日本棍棒協会
    https://lit.link/greatkonbou

    後篇目次
    新しいスポーツが生まれるときならではのダイナミズム/黎明期のスポーツに参加する面白さ/根が消費者やと気付けないこと/棍棒のドリームチームをつくってみた/どの樹種の棍棒が使われているかという観戦の新たな楽しみ/打法の基本形=仏跨ぎと地獄跨ぎ/弁慶泣かし/脛逝く/人生を棒に振ってる

  • きっと耳を澄ますにつれ庭がどこまでも広がってスウスウ流れこんでくること請けあいのラジオ 『庭声』の更新です。

    第7回目となる今回は、待望の棍棒回。ZNKKXCUP 第1回全日本棍棒飛ばし選手権大会の片付け後、全日本棍棒協会会長の東樫をゲストに、棍棒飛ばしの奥深さについて語りました。

    全日本棍棒協会
    https://lit.link/greatkonbou


    前篇目次

    棍棒があると木の勉強に良い/森系はロマン派が出現しがち/間伐は壮大なガチャ/外来種問題/オイカワ丸さん/湿地帯で全部解決する/庭のかたちが生まれるとき/庭をつくることによって遡行的に自然を眼差す≒棍棒飛ばしから里山を望む/スポーツ欲、馬鹿馬鹿しさの極致/木工に逃げんな

  • 「庭師が読む『僕たちはどう生きるか』」のアフタートーク

    目次

    もっと庭の話をしよう/フリーペーパーをつくりたい/ドライブ・マイ・カー/人間関係ではなく存在関係/名前をなよんでる/suzumeという屋号/雀にもともと関心があった/身近すぎて見過ごしているうつくしいものとしての雀/庭には鳥が来てほしい/鳥って庭師/世界にひらかれていく人間/植物だけ好きなのは自閉的/そこに鳥がやってきた/微花から庭へ/どう呼ばれたいか/ジョウビタキ/囀りと地鳴き/火打ち石を打ち付ける音/焚いている人が燃えている火/庭がお金持ちの嗜好品とかお金持ってる人しか持てないってのが嫌/地球環境の危機の核心は、環境と人間との関係の貧しさ/人類庭師化計画/レイズドベッドでよいという提案/マイボトル、マイガーデン/CADANというメディアとレイズドベッドの二本立て/僕たちはそうやって生きていく

  • きっと耳を澄ますにつれ庭がどこまでも広がってスウスウ流れこんでくること請けあいのラジオ『庭声』の更新です。

    第五回目となる今回は、独立研究者・森田真生さんの『僕たちはどう生きるか』を繙きながら、ウイルスや気候がもたらしている現実において、この普遍的な問いへ、庭師としての応答を試みます。

    目次

    正解を定める危うさ/みんな優しい/かわいそうは間違いやすい/役割に注意を向ける/かつて人類は植物だけでも3万種類以上を食べて暮らしていた/食の多様性の喪失は生物多様性の消失に帰結する/世界って食べられるんや/農業を変えるのではなく庭を加える/その人の庭を抽き出す/生態最適という大前提/ジャングル激アツ/ぜーんぶようちえん/環境をととのえたらそれが先生になる/余白を意図する/夜な夜なオオバコ/草が生えない校庭の罪/気づいたらおもろいことになってた

  • きっと耳を澄ますにつれ庭がどこまでも広がってスウスウ流れこんでくること請けあいのラジオ『庭声』の更新です。

    第五回目となる今回は、独立研究者・森田真生さんの『僕たちはどう生きるか』を繙きながら、ウイルスや気候がもたらしている現実において、この普遍的な問いへ、庭師としての応答を試みます。

    目次
    僕たちはどう生きるか/この本読んで会社やめました/コロナ以後、目に入ってきたのが庭だった/消毒よりも味噌づくり/エコロジカルな自覚/真に人間が健康になっていくことは環境の恢復につながっている/世界の終わりであるところに、これから僕らがつくっていく庭のはじまりがある/屈辱ではなく、存在のよろこび/環境問題の最たる原因は農業である/偽善的であることを逃れられないほどに生態系は豊か/ケータイ代1200円やから

  • 名著『珈琲屋』に端を発した対談——「月白にて第十夜」の振り返りから、物と事で物事であること、その事としての/媒介としての/関係性としての庭について。


    目次
    月白にて/私も自分のこと庭師だと思います/団子虫/好き嫌いはどうでもいい/可哀想も間違いやすい/虫のことは嫌いでも庭のことは嫌いにならないでください/もしも神さまが虫だったら/好きになりましょうってなんやねん/物と事で物事/世界との対峙の仕方/一理あって二里三里ない/中動態/庭という現象の、自分と蜂が内部にいる/スピノザのいう思惟能力/雑草だけど綺麗だと思った/日々に埋もれがちな深いところの感情/自分と物の間に庭という事を介す/媒介としての庭/生を尊重することは動きを尊重すること/科学的、論理的、体現的、文学的/寺田寅彦的/庭師的/見えないものを見えるようにする/人間である以上は/穿った見方の本来の意味/どれが一なのかっていうことが分からなくなる

  • サラダって直接的 / 植物喰ってる / おいしいサラダはほんまにおいしい / 自分で切り分けながら食べる /サラダって舐められすぎやと思う / レシピ本から庭を考える / 庭のことサラダって言いそう…etc

    #庭師の休憩中

  • 食事と庭とはどのような関係にあるか。料理研究家・土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」を読む中にその繋ぎ目と切れ目を探りながら、庭師として見た料理と、その料理から見えてきた庭についての対話です。ぜひ一聴ください。

  • 食事と庭とはどのような関係にあるか。料理研究家・土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」を読む中にその繋ぎ目と切れ目を探りながら、庭師として見た料理と、その料理から見えてきた庭についての対話です。ぜひ一聴ください。

  • 庭師が読む『人類堆肥化計画』後編
    その第四章で微花が言及されていることに応答しつつ、微花から庭へと至る線について語ります

  • 「人類堆肥化計画は庭師の本だと思う」
    庭師が読むシリーズの第一弾は、僕らの友人でもある東千茅の初単著『人類堆肥化計画』
    これを庭のまなざしで読み変えたときに見えてくる「人類庭師化計画」について語ります。