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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第24回目は古代ギリシア世界の歴史「アテネその2」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前6世紀半ば、貴族出身のペイシストラトスが僭主政を開始する。彼を支持したのは、政治に不満を持つ平民であり、僭主とは非合法的に政権を握った独裁者のことだ。中小農民を保護し、商工業を奨励するなどして平民の経済力上昇を図った。
しかし、彼の子が暴君化したため僭主政は一気に平民の支持を失う。前508年、貴族のクレイステネスは僭主の出現を防止するため、陶片追放(オストラキスモス)の制度を創設し、部族制の改革を行う。民主制の基礎を作った。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第23回目は古代ギリシア世界の歴史「アテネその1」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
イオニア人の建設したアテネでは海港に恵まれ商工業が発展する。裕福な貴族が政治を独占し、債務を負って奴隷に転落する平民が後を絶たなかった。小アジアのリディア王国から貨幣が流通すると、貨幣を蓄えた富裕平民が武器を入手して戦争に参加。参政権を要求するようになり身分闘争が始まる。
前7世紀後半にドラコンが従来の慣習法を成文化、貴族が独占していた法を平民にも公開した。平民が没落すると軍事力が低下するので、前6世紀にソロンが債務奴隷を禁止、財産政治を断行した。しかし財産のある貴族の地位は揺るがず貴族と平民の対立は続いた。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第22回目は古代ギリシア世界の歴史「市民と奴隷」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
ポリスの住民は市民、これに隷属する奴隷に分けられる。さらに市民は、貴族と平民の区別があった。ポリスを守るために戦士として戦うことが市民に求められる義務であったため、それに十分応えられる財がある貴族の支配力が高まるのは当然の流れだった。
交易活動が盛んになると農産物を売って富裕になる平民が現れる。金属の輸入で武具が安価になり、富裕な平民は買えるようになる。さらに戦術として重装歩兵による密集部隊の価値が高まると、戦争における平民の位置づけが高まり参政権を要求した。
女性、ほかのポリスの出身者、奴隷は政治から排除される。特に奴隷は、人格を認められず売買の対象となり、市民との身分差は大きかった。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第20回目は古代ギリシア世界の歴史「ギリシアの特徴」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
各ポリスは独立した国家で互いに抗争を繰り返した。しかし、同時にギリシア人であるという同一民族意識も強まり自分たちをヘレネス、異民族をバルバロイと呼んで区別する。
重要事項を決めるさい各ポリスは、デルフォイの神託を参考にし、4年ごとにオリンピアの祭典を開き、期間中はいっさいの戦いが禁止された。
西アジアや中国では都市国家から世界帝国に国家が発達したが、古代のギリシアは小国分立状態が続き統一国家は生まれなかった。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第20回目は古代ギリシア世界の歴史「暗黒時代からポリス形成まで」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前12世紀ごろエーゲ文明は滅亡した。ギリシアは文字史料がない暗黒時代に突入し、線文字も消滅した。約400年間にわたる混乱期に鉄器が普及、フェニキア人の文字が伝わりギリシア文字に発展する。
前8世紀ごろになると、集住(シノイキスモス)により都市国家(ポリス)が生まれる。人々はアクロポリスとよばれる丘に神殿を築き、丘のふもとに広場(アゴラ)を設けて公共施設を置いた。
多くの都市国家が小麦の自給が困難なため植民活動を行う。その結果地中海や黒海の沿岸にマッサリア、ネアポリス、ビザンティオンなどの植民市が建設され、オリエントとの交易が活性化する。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第19回目は古代ギリシア世界の歴史「エーゲ文明2」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
19世紀にイギリスの考古学者のエヴァンズがクノッソス宮殿を発見する。クレタ文字(線文字A)は解読されていないので、誰が残した遺跡なのかは分かっていない。クレタ文明の平和は長く続いたが、北方から進入したギリシア人(アカイア人)によって滅びる。
アカイア人についてはトロヤ戦争の伝説が有名である。ホメロスが叙事詩『イリアス』にうたい、これを信じたドイツの考古学者シュリーマンが19世紀にトロヤ遺跡、ミケーネ、ティリンスなどの遺跡を発見する。
ミケーネ文明では線文字Bが使用された。後にヴェントリスによって解読され古代ギリシア語であることが分かる。前1200年ごろ、ドーリア人や「海の民」の進入を受けミケーネ文明は崩壊した。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第18回目は古代ギリシア世界の歴史「エーゲ文明1 」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
エーゲ海の島々やギリシア本土南部で成立したエーゲ文明は青銅器文明で「クレタ文明」と「ミケーネ文明」に代表される。
クレタ文明は、前2000年ごろに始まりクレタ島のクノッソスを中心に栄える。宮殿には城壁がなく海洋的な性格であった。
いっぽうミケーネ文明は、前1600年ごろから始まりインド=ヨーロッパ系のギリシア人がギリシア本土で文明を築き上げた。ミケーネやティリンスなど遺跡が有名で、堅固な城塞が存在していたことが分かる。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第17回目はオリエントの歴史「ササン朝ペルシア その2」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
ササン朝ペルシアは6世紀半ば、ホスロー1世の時代に全盛期を迎える。突厥と結んでエフタルを滅ぼし、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスと争いを有利に展開し和平を結ぶ。
学術保護にも力をいれ、東ローマ帝国から流れ込んできた学者を保護。宗教面ではゾロアスター教の教典『アヴェスター』を編集させた。
しかし、ホスロー1世の死後しだいに衰えた。7世紀にアラビア半島から進出してきたイスラーム勢力に、ニハーヴァンドの戦いで敗れ、まもなく滅亡した。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第16回目はオリエントの歴史「ササン朝ペルシア その1」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
3世紀前半、ローマとの抗争で衰退したパルティアは、イラン高原南部から出たササン朝ペルシアのアルダシール1世により滅ぼされた。
2代目のシャープール1世はシリアに侵入してローマ帝国を打ち破り軍人皇帝ヴァレリアヌスを捕虜とし、さらに東方のクシャーナ朝を破った。
5世紀後半に中央アジアの遊牧民エフタルが侵入してきて一時衰退するものの、6世紀になるとホスロー1世がトルコ系遊牧民の突厥と挟み撃ちにして滅ぼしている。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第15回目はオリエントの歴史「ヘレニズム時代(その2)」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
アレクサンドロス大王の帝国がディアドコイの争いで3分割された。西アジアを支配したセレウコス朝シリアの崩壊が早かった。理由は3国のなかで最も領土が広かったのにも関わらず都を西寄りのアンティオキアに置いたからだ。
東方領土に目が届かず、東のほうから解体する。前3世紀中頃にイラン高原ではイラン系のパルティア王国が自立する。中国では安息とよばれ東西交通路を掌握して繁栄した。同じころアム川上流域のギリシア人がセレウコス朝から独立してバクトリアを立てた。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第14回目はオリエントの歴史「ヘレニズム時代(その1)」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
アレクサンドロス大王は、前330年にアケメネス朝ペルシアを滅亡させた後も東方遠征を続けた。インド西部まで軍を進め東西にまたがる大帝国を築き上げる。オリエントやその周辺に都市アレクサンドリアを建設して多くのギリシア人を入植させた。中でもエジプトのアレクサンドリアは地中海周辺の港湾都市となり、経済と文化の中心都市として栄えた。
オリエントの諸文化とギリシア文化が融合してヘレニズム文化が生み出され、中央アジアまで普及した。東西交易が一段と盛んになり、ギリシア語が共通語として地中海周辺から中央アジアに至るまで広く使用された。
アレクサンドロス大王が急死すると、ディアドコイ(後継者)と呼ばれる部下の将軍たちにより争われ、アイティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトなどの諸国に分裂した。大王の東方遠征からプトレマイオス朝エジプト滅亡までの約300年間をヘレニズム時代と呼ばれる。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第13回目はオリエントの歴史「アケメネス朝ペルシア(その3)」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
アケメネス朝ペルシアではイラン人の民族的宗教であるゾロアスター教が信仰された。光の神アフラ=マズタと暗黒の神アーリマンが戦い、さいごは光の神が勝利して人類を裁くという教え(最後の審判)があり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に影響を与える。
首都はスサのほかに複数あり、中でもダレイオス1世の治世に建設したペルセポリスはペルシアの栄光を集約した壮大な都市だった。
前5世紀前半にギリシア遠征(ペルシア戦争)を行うが失敗に終わる。しかし、その後もアケメネス朝の支配は揺るがなかった。
前4世紀に内紛で衰退し、前330年にマケドニアのアレクサンドロスに滅ぼされた。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第12回目はオリエントの歴史「アケメネス朝ペルシア(その2)」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
アケメネス朝ペルシアは、広大な領土を支配するため行政の中心都市スサから小アジアのサルデスまで「王の道」を建設した。駅伝制をしき「王の道」に代表される国道を整備して王都と地方を直結させる。
アッシリアとは異なり服属民の自治を認めるなど寛容的で、多様な民族の共存と平和的な統治が実現された。
公用語はペルシア語とアラム語が用いられ、金・銀貨を発行し、フェニキア人やアラム人の商業活動を保護する。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第11回目はオリエントの歴史「アケメネス朝ペルシア(その1)」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前550年にインド=ヨーロッパ語系のイラン人がメディアを滅ぼしてアケメネス朝ペルシアを建国する。
建国者のキュロス2世はメディア以外にリディア、そして前593年に新バビロニアを征服し、翌年にヘブライ人(ユダヤ人)を解放している。
第3代のダレイオス1世の時に全盛期をむかえ、東はインダス川から西はエーゲ海北岸に及ぶ大帝国となり、オリエントは再び統一された。
帝国全土を約20の州に分け、各州にサトラップとよばれる知事を配置して「王の目」「王の耳」とよばれる王直属の監察官を巡回させて中央集権をはかった。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第10回目はオリエントの歴史「4王国分立時代」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
アッシリアの滅亡後、オリエントにはメディア、リディア、新バビロニア、エジプトの4王国が分立する。4王国の中でもっとも強勢となった新バビロニアは前586年にユダ王国を滅ぼしバビロン捕囚を行った。
小アジアの西部に建国したリディアは鉱山開発によって台頭し、最古の金属貨幣を発行して交易を活性化させ、ギリシアにも影響を与える。
イラン高原に建国したメディア王国は、前612年に新バビロニアと共にアッシリアを倒す。エジプトはフェニキア人やギリシア人との交易を盛んに行った。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第9回目はオリエントの歴史「アッシリア」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前2千年紀はじめに北メソポタミアに建国したセム語系のアッシリアは、前15世紀には一時ミタンニ王国に服属したが、その後独立を回復し鉄製武器で武装した歩兵や騎兵で軍事力を養った。
前671年にはエジプトを占領して全オリエントを統一。史上初となる多数の民族を支配する世界帝国を建設する。首都はニネヴェで、アッシュール=バニパル王のときに最盛期をむかえる。
アッシリア帝国は、全国を州に分け、各州に総督を派遣し中央集権政治を行う。しかし、強制移住や過酷な徴税などの理由で各地で反乱が起こり前612年に滅亡した。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第8回目はオリエントの歴史「東地中海沿岸②」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
前1500年ごろ、遊牧民であったヘブライ人はパレスチナに定住し、その一部はエジプトに移住した。前11世紀末に、「海の民」の一派であるペリシテ人に対抗するため諸部族が連合して王国を形成した。ダヴィデ王のとき、イェルサレムを都とし、その子ソロモン王は支配領域を拡大し交易で繁栄した。
しかしソロモン王の死後、王国は南北に分裂する。北のイスラエルはアッシリア(前722年)に、南のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされる(前586年)。数万の住民がバビロンに連れ去られ、後に「バビロン捕囚」と呼ばれる。
苦難のなかでヘブライ人は、唯一神ヤハウェを信仰し、神により選民としての特別な恩恵を与えられるという「選民思想」や、救世主(メシア)の出現を待望する信仰を生み出した。
約50年後に新バビロニア王国滅亡後、彼らは解放されイェルサレムに帰国しユダヤ教、旧約聖書を成立させた。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第7回目はオリエントの歴史「東地中海沿岸①」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
東地中海沿岸地方は、メソポタミアから地中海、紅海、エジプトへ通じるルート上にあり、古くから交易の拠点が形成された。
シリアではセム語系民族のアラム人がダマスクスを中心に隊商を組織して内陸貿易で活躍。フェニキア人はシドン・ティルスを拠点に地中海貿易で活躍し、北アフリカにカルタゴなどの植民市を建てる。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第6回目はオリエントの歴史「エジプト3」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
エジプト人は霊魂の不滅を信じて遺体をミイラとして保存し、「死者の書」と共に埋葬した。エジプト文字には碑文や墓室、石棺などに刻まれた象形文字の神聖文字(ヒエログリフ)と、パピルスに書かれた民用文字(デモティック)とがあった。
また、エジプトで発達した測地術は、ギリシアの幾何学の基になり、太陽暦は、のちにローマで採用されてユリウス暦となった。
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第5回目はオリエントの歴史「エジプト2」【基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇基本文
紀元前14世紀に、新王国時代の首都テーベの守護神と結びついたアメン=ラーをまつる神官団と王のアメンへテプ4世が対立する。
彼は従来の多神教を否定して、唯一神アテンの信仰を強制する宗教改革を行う。さらに中部エジプトのテル=エル=アマルナに遷都した。
王の死で改革は挫折するが、改革の影響で古い伝統にとらわれない写実的なアマルナ美術が生み出されている。
その後もシリア北部でヒッタイトと戦うなど新王国の隆盛は続くが、前7世紀以降、たびたび異民族の支配を受けるようになった。
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